5月です
2011年5月1日大きな変化もなく毎日すごしています。
有難いかぎりです。
最近「未曾有の国難」って言葉をよく耳にする。
いままで、どちらかといえば“目にする”だ。
ドコで?っと問われれば、日本史の資料集でっと答える。
そう「王政復古の大号令」の一文。
この時の“未曾有ノ国難”・・・ペリー来航からの一連の出来事とも解釈できる。
江戸の世では、ペリーが黒船に乗って日本にやってきたコト。
国を揺るがす一大事。
もちろん内憂外患いろいろあるけれど。
江戸の世で、怖かったことが乗越えていまがある。
乗越えられないコトはない。
だって、いまは色々な国に助けられているのだから。
このたびの東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
ご家族、ご親族の皆様には心よりお悔やみを申し上げます。
さて、GWです。
カレンダー通りではありますが、有休を頂きまして再び沖縄へ。
珍しく、珍しく父方の祖父母が“沖縄に行きたい!”って言い出したので、
家族旅行です。
祖父母・両親・妹・私。
6人での泊まりの旅行は初めてかもしれない。
日常生活を変わらず過ごせることに感謝しつつ、ジジババ孝行してきます。
有難いかぎりです。
最近「未曾有の国難」って言葉をよく耳にする。
いままで、どちらかといえば“目にする”だ。
ドコで?っと問われれば、日本史の資料集でっと答える。
そう「王政復古の大号令」の一文。
この時の“未曾有ノ国難”・・・ペリー来航からの一連の出来事とも解釈できる。
江戸の世では、ペリーが黒船に乗って日本にやってきたコト。
国を揺るがす一大事。
もちろん内憂外患いろいろあるけれど。
江戸の世で、怖かったことが乗越えていまがある。
乗越えられないコトはない。
だって、いまは色々な国に助けられているのだから。
このたびの東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
ご家族、ご親族の皆様には心よりお悔やみを申し上げます。
さて、GWです。
カレンダー通りではありますが、有休を頂きまして再び沖縄へ。
珍しく、珍しく父方の祖父母が“沖縄に行きたい!”って言い出したので、
家族旅行です。
祖父母・両親・妹・私。
6人での泊まりの旅行は初めてかもしれない。
日常生活を変わらず過ごせることに感謝しつつ、ジジババ孝行してきます。
3月8日の日記
2011年3月8日誕生日は大義名分を得てケーキをホールで買える日
ただそれだけ。
目標たてたり、リセットしたり…そんな日だったのに。
内省するコトはあっても。
アレもコレもではない。
今年はなんだろう?
1年365日の中の、ただの1日。
そんな感じた。
30過ぎてたからか。。。
厄年に突入したからか。。。
ただそれだけ。
目標たてたり、リセットしたり…そんな日だったのに。
内省するコトはあっても。
アレもコレもではない。
今年はなんだろう?
1年365日の中の、ただの1日。
そんな感じた。
30過ぎてたからか。。。
厄年に突入したからか。。。
日曜日の遠足の疲れをひきづってます。
祖母のリクエストをきいて、なばなの里へ。
どこから聞いてきたのか「おばあちゃんなばなの里へ一度行ってみたい」とお正月に言っていた。
今年のテーマは“富士山と海”
ものすご~く人だらけ。
遠くからみると、う~ん微妙!?
人の頭と富士山の部分しか見えなくて、な~んだ。。。って感じだった。
それでもなんとか前まで進むとようやく聞こえたBGMと色がかわるグラデーションが綺麗に見えた。
たまにはよいね。イルミネーション。
祖母のリクエストをきいて、なばなの里へ。
どこから聞いてきたのか「おばあちゃんなばなの里へ一度行ってみたい」とお正月に言っていた。
今年のテーマは“富士山と海”
ものすご~く人だらけ。
遠くからみると、う~ん微妙!?
人の頭と富士山の部分しか見えなくて、な~んだ。。。って感じだった。
それでもなんとか前まで進むとようやく聞こえたBGMと色がかわるグラデーションが綺麗に見えた。
たまにはよいね。イルミネーション。
嗚呼〜!憧れのブセナテラス!!
2011年2月13日 旅行
沖縄サミットが行われた次の年。
おじぃの73祝い。
学生だったから2週間近く沖縄に滞在した。
母と車で辺戸まで行く途中に立ち寄った。
その頃はちょうど沖縄アクターズスクールの大ブーム。
BGMは安室奈美恵・SPEED・DA PUMP・知念里奈・MAX...
CDをいっぱい持ってたな。
20歳の私はテンション高め!
あの頃は何でもできるって思ってたな~。
お祝いだからかなりまえから沖縄に行くコトが決まっていて、
沖縄の映像がよく目についていた。
“NEVER END”とサミット会場。
いつまでも記憶に残ってて,ブセナ岬の敷地に入るのにまず確認。
「宿泊ですか?観光でしか?」と聞かれて。
それだけでドキドキ。
広がる海・白い砂浜・オレンジの屋根。。。
あの頃、沖縄といえばおじぃー・おばぁーの家に泊まるのが当たり前だったから、
リゾートな雰囲気にノック・アウト!!!
散策する道は、海とアカバナ。
いつか絶対泊まるんだから~~!!って決めた。
あれから10年・・・
ブセナテラスに泊まるんだから~~!!!
って、決めた。
憧れてたし!
沖縄なんて冠婚葬祭でいくのがメインでこの期を逃したら、次は10年はチャンスがない!
三十路記念だし!!
・・・ってな具合で自分の理由をいっぱい考えた。
1泊でオーシャンビューにするか?
2泊でガーデンビューにするか?
はたまたオーシャンに2泊しちゃう?
旅行中いつ泊まるのか?
交通手段は?
当初の目的は、おじぃに会う目的だったはずなのに、
旅行の中心はブセナテラスに泊まることになってる始末。
おばぁに言ったら「名護~?なんでそんな寒い所にアンタは、ワザワザ泊まるのさぁ~」っと。
那覇からすれば、中北部・ビーチ付近はとんでもなく寒いらしい。
いろいろ考えたけど、予算的にも時間的にもブセナテラスはオーシャンビューの部屋に1泊とした。
行きはのんびり路線バス・帰りはリムジンバスを予約。
そういえば、沖縄で路線バスに乗るのは初めてで楽しみだ!
* * *
路線バスでテンション上がるってどうよ?って思いつつも楽しい。
地元は、真ん中乗り、前降り。
両替は、バスが信号待ちの間でするのが当たり前。
沖縄は、前乗り、前降り。
両替は、バスが降車するバス停にとまってからするのが当たり前。
車内のアナウンスもしかり。
スーツケースをゴロゴロ引いて、バスの乗り込む。
一応心配だから「ブセナテラスに行きたいのですが?」と確認してから乗車。
いろんな人が乗ってくるけれど、運転手さんの面倒見のよいこと。よいこと。
ちょっと平日の早い時間だったから小学生の乗車に「学校は休みか?」って聞いてみたり。
ウワサで聞いていた「バス停がなくても交渉次第で降りたいところで降ろしてくれるよ」ってなコトにも遭遇。
「うわぁ~!本当だった!!」と笑えてきた。
おじさんがよく「沖縄のバスの時刻表は、あってないようなものだから~」って言ってた意味が分った。
ただ道路を走る時間だけなら、きっと時刻どおりかな?
運転手さんの面倒見の良さというオプションがなかなか時間がかかるんだろう。
もちろん私も運転手さんにお世話になる。
「次は、ブセナテラスだからね~」っと。
車窓から見える海で既におかしなテンションで、
スーツケースをゴロゴロひきながらケータイとデジカメで撮りまくる
観光客まるだしな私。
敷地に入るところで「宿泊ですか~?」呼び止められて
「車を手配するからお待ちください」と言われて
“おぉ~~!!”
ほどなくしたホテルの車に乗せられて、ロビーまで。
海が見えますよ。
曇りだけれど、太陽の光が見えてよかった!!
ソファーに座ってチェックイン。
ウェルカムドリンクなんてでてきちゃった。
それだけで夢見心地。
もちろん部屋まで案内してくれるし、ドコかでスイッチが入ってしまった!!
それからは・・・
一人運動会の始まり始まり~~~!!
満喫したい!!ただその思いで東奔西走。
部屋で海を眺めてボーっとしたけれど、
綺麗なうちに写真とならきゃと大忙し。
アメニティーまで撮ってしまった。
レストランも予約したい。
よし!メインダイニングね。フレンチ。
ビーチも歩きたい。
ショップもみたい。
サックスの演奏があるの?
スパ行きたいし、部屋のお風呂も入りたい。
カクテルのワンドリンクチケット?もちろん使いたい。
海の見える朝ごはん。
ぜ~んぶ。せんぶ叶えたくって、とても優雅なリゾートじゃない(笑)
もちろん全部制覇しました。
スタッフさんはみんな優しくて親切。
そういえば標準語でしたね(笑)
普段、一人旅だと自分の写真なんて撮らないんだけど、
螺子が外れてるため「すみませ~んシャッター押してください」っと
何人のスタッフを捕まえたことか(笑)
深夜2時近くまえ館内をウロウロ。
そんな時間ももちろんプールサイドはライトアップされてた。
朝は7時前におきて部屋のバスを使う。
朝のバイキングはホテルメイドのパンとジャム美味しい。
普段は倦厭するゴーヤージュースまで飲んでしまった。
チェックアウトをしてもバトラーで荷物を預かってもらって、
グラスボート・海中展望塔・万国津梁館を観光。
リムジンバスに荷物まで積み込んでもらった。
あぁ~楽しかったブセナテラス。
私の収入だと贅沢しすぎなんだけど。
連泊しないと勿体無い。
ネットの書き込みには”連泊しないのは失礼に感じる”なんてのもあった。
大げさな!って思ったけれど泊まってしまうと気持ちも分る。
今度は、連泊したい。
ホテルステイを満喫するのも良いなぁ~。
さぁ~!頑張って働きますか。
絶対また泊まるんだから~~~!!!
おじぃの73祝い。
学生だったから2週間近く沖縄に滞在した。
母と車で辺戸まで行く途中に立ち寄った。
その頃はちょうど沖縄アクターズスクールの大ブーム。
BGMは安室奈美恵・SPEED・DA PUMP・知念里奈・MAX...
CDをいっぱい持ってたな。
20歳の私はテンション高め!
あの頃は何でもできるって思ってたな~。
お祝いだからかなりまえから沖縄に行くコトが決まっていて、
沖縄の映像がよく目についていた。
“NEVER END”とサミット会場。
いつまでも記憶に残ってて,ブセナ岬の敷地に入るのにまず確認。
「宿泊ですか?観光でしか?」と聞かれて。
それだけでドキドキ。
広がる海・白い砂浜・オレンジの屋根。。。
あの頃、沖縄といえばおじぃー・おばぁーの家に泊まるのが当たり前だったから、
リゾートな雰囲気にノック・アウト!!!
散策する道は、海とアカバナ。
いつか絶対泊まるんだから~~!!って決めた。
あれから10年・・・
ブセナテラスに泊まるんだから~~!!!
って、決めた。
憧れてたし!
沖縄なんて冠婚葬祭でいくのがメインでこの期を逃したら、次は10年はチャンスがない!
三十路記念だし!!
・・・ってな具合で自分の理由をいっぱい考えた。
1泊でオーシャンビューにするか?
2泊でガーデンビューにするか?
はたまたオーシャンに2泊しちゃう?
旅行中いつ泊まるのか?
交通手段は?
当初の目的は、おじぃに会う目的だったはずなのに、
旅行の中心はブセナテラスに泊まることになってる始末。
おばぁに言ったら「名護~?なんでそんな寒い所にアンタは、ワザワザ泊まるのさぁ~」っと。
那覇からすれば、中北部・ビーチ付近はとんでもなく寒いらしい。
いろいろ考えたけど、予算的にも時間的にもブセナテラスはオーシャンビューの部屋に1泊とした。
行きはのんびり路線バス・帰りはリムジンバスを予約。
そういえば、沖縄で路線バスに乗るのは初めてで楽しみだ!
* * *
路線バスでテンション上がるってどうよ?って思いつつも楽しい。
地元は、真ん中乗り、前降り。
両替は、バスが信号待ちの間でするのが当たり前。
沖縄は、前乗り、前降り。
両替は、バスが降車するバス停にとまってからするのが当たり前。
車内のアナウンスもしかり。
スーツケースをゴロゴロ引いて、バスの乗り込む。
一応心配だから「ブセナテラスに行きたいのですが?」と確認してから乗車。
いろんな人が乗ってくるけれど、運転手さんの面倒見のよいこと。よいこと。
ちょっと平日の早い時間だったから小学生の乗車に「学校は休みか?」って聞いてみたり。
ウワサで聞いていた「バス停がなくても交渉次第で降りたいところで降ろしてくれるよ」ってなコトにも遭遇。
「うわぁ~!本当だった!!」と笑えてきた。
おじさんがよく「沖縄のバスの時刻表は、あってないようなものだから~」って言ってた意味が分った。
ただ道路を走る時間だけなら、きっと時刻どおりかな?
運転手さんの面倒見の良さというオプションがなかなか時間がかかるんだろう。
もちろん私も運転手さんにお世話になる。
「次は、ブセナテラスだからね~」っと。
車窓から見える海で既におかしなテンションで、
スーツケースをゴロゴロひきながらケータイとデジカメで撮りまくる
観光客まるだしな私。
敷地に入るところで「宿泊ですか~?」呼び止められて
「車を手配するからお待ちください」と言われて
“おぉ~~!!”
ほどなくしたホテルの車に乗せられて、ロビーまで。
海が見えますよ。
曇りだけれど、太陽の光が見えてよかった!!
ソファーに座ってチェックイン。
ウェルカムドリンクなんてでてきちゃった。
それだけで夢見心地。
もちろん部屋まで案内してくれるし、ドコかでスイッチが入ってしまった!!
それからは・・・
一人運動会の始まり始まり~~~!!
満喫したい!!ただその思いで東奔西走。
部屋で海を眺めてボーっとしたけれど、
綺麗なうちに写真とならきゃと大忙し。
アメニティーまで撮ってしまった。
レストランも予約したい。
よし!メインダイニングね。フレンチ。
ビーチも歩きたい。
ショップもみたい。
サックスの演奏があるの?
スパ行きたいし、部屋のお風呂も入りたい。
カクテルのワンドリンクチケット?もちろん使いたい。
海の見える朝ごはん。
ぜ~んぶ。せんぶ叶えたくって、とても優雅なリゾートじゃない(笑)
もちろん全部制覇しました。
スタッフさんはみんな優しくて親切。
そういえば標準語でしたね(笑)
普段、一人旅だと自分の写真なんて撮らないんだけど、
螺子が外れてるため「すみませ~んシャッター押してください」っと
何人のスタッフを捕まえたことか(笑)
深夜2時近くまえ館内をウロウロ。
そんな時間ももちろんプールサイドはライトアップされてた。
朝は7時前におきて部屋のバスを使う。
朝のバイキングはホテルメイドのパンとジャム美味しい。
普段は倦厭するゴーヤージュースまで飲んでしまった。
チェックアウトをしてもバトラーで荷物を預かってもらって、
グラスボート・海中展望塔・万国津梁館を観光。
リムジンバスに荷物まで積み込んでもらった。
あぁ~楽しかったブセナテラス。
私の収入だと贅沢しすぎなんだけど。
連泊しないと勿体無い。
ネットの書き込みには”連泊しないのは失礼に感じる”なんてのもあった。
大げさな!って思ったけれど泊まってしまうと気持ちも分る。
今度は、連泊したい。
ホテルステイを満喫するのも良いなぁ~。
さぁ~!頑張って働きますか。
絶対また泊まるんだから~~~!!!
沖縄土産なおやつ
2011年2月6日
サァーターアンダギー
歩 v.s 安室養鶏場
今回、首里まで買いに行くのが難しいかと思って、じゃあ珍しく食べ比べでもしようか?と思っていろんなトコのお店をチョコチョコ買う。
いったい何個食べたのかしら!?
最近、人気と評判の牧志公設市場2階にある“歩”
評判になるだけあって美味しいです。
おばぁ曰く“お菓子みたいで美味しいねぇ~”
ピーナッツバターが強いです。
内地の人は好きかもしれない。
かなり一般ウケすると思う。
安室養鶏場
口のなかでサクっと、ホロっととける。
やっぱり美味しい。
後味もすっきり。
今回は、白・黒糖・紅芋・抹茶の4種類ゲット。
何回食べても私は黒糖が好きだ!!!
さて、安室養鶏所のサァーターアンダギーを買うために首里城の帰りに
歩いてみたが、迷った!!
2・3年に1回、車でつれていってもらうぐらいじゃ覚えないみたい。
ケータイのナビに少々だまされる(泣)
モノレールでいくならば、儀保駅。
目印は平良のバス停かな?
坂を下って、下って、1本道を入るっていうのは覚えていたけれど、
似たような路地がありすぎて迷う迷う。
結局その日はたどりつけず。。。
車で迎えにきて貰った。
帰る日に再度チャレンジ。
この日は、おばぁの“タクシーで行きなさい”とうるさかったので、
タクシーで乗りつけ。
タクシーの運転手さんも場所は自信なさそう。
「サァーターアンダギーはウチでつくるのが1番さー」っとおっしゃってました。
だけどね?
ウチのおばぁは料理が下手なのよ(爆)
味付けがどうもおかしい気がする。
このサァーターアンダギーは、揚げ方がポイント。
さぁーたーあんだぎーミックスなるものも売ってる。
その昔、このミックスを使っておばぁに作ってもらった時はたしかに美味しかった。
「練習しないと上手くならないね~。コツを教えるのは難しいぃ~」と運転手さん。
道中ずっと運転手さんとサァーターアンダギーの話をしてました。
さて、今回もコレだけじゃない!!
スーパーでお土産を買い込み。
シークワァーサージュースにさんぴん茶・福寿来(薬草茶です)
若干飲み物が多いかな?
ちんすこうに紅芋タルト・黒糖。
沖縄そばだって買いました。
ゴーヤーはやっぱり沖縄県産が美味しいね。
ソーキもてびちも中身汁もあるよ。
当分の間の食材はあるかな?
あ~ぁ食べすぎちゃいそうだ。
この前、沖縄行った時に増えた体重はまだ戻りきってないのにね。
歩 v.s 安室養鶏場
今回、首里まで買いに行くのが難しいかと思って、じゃあ珍しく食べ比べでもしようか?と思っていろんなトコのお店をチョコチョコ買う。
いったい何個食べたのかしら!?
最近、人気と評判の牧志公設市場2階にある“歩”
評判になるだけあって美味しいです。
おばぁ曰く“お菓子みたいで美味しいねぇ~”
ピーナッツバターが強いです。
内地の人は好きかもしれない。
かなり一般ウケすると思う。
安室養鶏場
口のなかでサクっと、ホロっととける。
やっぱり美味しい。
後味もすっきり。
今回は、白・黒糖・紅芋・抹茶の4種類ゲット。
何回食べても私は黒糖が好きだ!!!
さて、安室養鶏所のサァーターアンダギーを買うために首里城の帰りに
歩いてみたが、迷った!!
2・3年に1回、車でつれていってもらうぐらいじゃ覚えないみたい。
ケータイのナビに少々だまされる(泣)
モノレールでいくならば、儀保駅。
目印は平良のバス停かな?
坂を下って、下って、1本道を入るっていうのは覚えていたけれど、
似たような路地がありすぎて迷う迷う。
結局その日はたどりつけず。。。
車で迎えにきて貰った。
帰る日に再度チャレンジ。
この日は、おばぁの“タクシーで行きなさい”とうるさかったので、
タクシーで乗りつけ。
タクシーの運転手さんも場所は自信なさそう。
「サァーターアンダギーはウチでつくるのが1番さー」っとおっしゃってました。
だけどね?
ウチのおばぁは料理が下手なのよ(爆)
味付けがどうもおかしい気がする。
このサァーターアンダギーは、揚げ方がポイント。
さぁーたーあんだぎーミックスなるものも売ってる。
その昔、このミックスを使っておばぁに作ってもらった時はたしかに美味しかった。
「練習しないと上手くならないね~。コツを教えるのは難しいぃ~」と運転手さん。
道中ずっと運転手さんとサァーターアンダギーの話をしてました。
さて、今回もコレだけじゃない!!
スーパーでお土産を買い込み。
シークワァーサージュースにさんぴん茶・福寿来(薬草茶です)
若干飲み物が多いかな?
ちんすこうに紅芋タルト・黒糖。
沖縄そばだって買いました。
ゴーヤーはやっぱり沖縄県産が美味しいね。
ソーキもてびちも中身汁もあるよ。
当分の間の食材はあるかな?
あ~ぁ食べすぎちゃいそうだ。
この前、沖縄行った時に増えた体重はまだ戻りきってないのにね。
琉球ガラス
2011年2月4日
沖縄で吹きガラス体験で作ったグラスが届いた。
シークワァーサーのチューハイを入れて満足。
グラスは軽くって、口にあたる感じがまぁるい。
うん。よい感じ。
ガラス工房はびっくりするぐらい観光地化してたけど、
やってみたかったコトが出来て満足!
シークワァーサーのチューハイを入れて満足。
グラスは軽くって、口にあたる感じがまぁるい。
うん。よい感じ。
ガラス工房はびっくりするぐらい観光地化してたけど、
やってみたかったコトが出来て満足!
16年。私はあれから10年。。。
2011年1月17日
朝から珍しく雪が積もっていて、バスの運行中止。
職場まで歩いて行った。
決して歩いて通えない距離ではないけれど、通常の場合30分強。
仕事の前に歩いて行くのは、ちょっと疲れて支障を感じる距離。
結構呑気にバス停につくまで、バスの状況を確認せず。。。
歩いていくコトを決意して、テクテク歩く。
テクテクというよりも、まるでペンギン。
チョコチョコ・・・ヨタヨタ。
BGMになるのは救急車のサイレン。エンドレス。
なかなかの恐怖心。
普段、雪が積もらない地域は突発的なコトに弱いのです。
毎回“いつ積もったっけ?”なんて考えてしまう。
そして、今日は1月17日。
職場までの道のりを歩きながら“そういえば大学4回生の1月17日は雪が舞っていた”染々と思い出した。
少し昔話をしましょうか。
あの頃を書くのは、そんな心境にもなってしまった。
コミュニティーFMという場所にいれることが嬉しかった。
DJができるというコトで舞い上がってたあの頃。
震災から6年目・7年目。
開局から5年目・6年目。
竹筒の中に灯った明かり。
私には想像つかない想い。
震災が起こった時は、私は中学3年生だった。
受験勉強真っ最中。
どちらかといえば、遠い場所で起こったコトだった。
いろんな人に会って、話を聞いて、驚いたこと。
感動したこと。色々なことを思った。
1月17日。
私は、灯りの番をした。
竹筒の火が消えないように。
ろうそくを片手に、次々と火をいれた。
建物の上からみた“1.17 ながた”の文字が忘れられない。
煌々と光るロウソクは、鎮魂なのか、希望なのか。
あの頃“いつまでも地震。地震言わなくても”とか“復興ねぇ~”なんて声も聞こえた。
その声は、いまもあるのかもしれない。
神戸を離れた私には聞こえないだけの声かもしれない。
それでも人間の想いはなかなか風化しない。
竹筒の映像を見るとそう思う。
3回生の私は、初めてのことで地に足がついてなかったかもしれない。
いろんな想いの声をきいた。
「地域密着と多文化共生」
出来たらよいな。
人の輪ってなんて凄いんだって思った。
4回生の私は、卒論提出直前でフラフラだった。
粉雪舞うなかゼミの教授には「物好きな~」と少々呆れ顔で見送られた。
・・・卒論と同じぐらい大事だと思ったんだよね。
私の手元には“灯り”の写真はない。
撮るべきではないもの。。。そう思ったから。
あの灯りは忘れられない。
目に焼きついた光景は写真以上。
思い出になってしまったけど。
思い出になってしまったから、あの頃の感情も一緒によみがえることもあるのかもしれない。
いつかまた、この時期の神戸に行きたいな。
ズンズンと雪道を歩きながら。
ミニスカートとブーツで灯りの番をしたことを思い出した。
そういえば、あの頃口にしていた「地域密着と多文化共生」
アラ?いまの私のお仕事になんだか似てないかしら?
職場まで歩いて行った。
決して歩いて通えない距離ではないけれど、通常の場合30分強。
仕事の前に歩いて行くのは、ちょっと疲れて支障を感じる距離。
結構呑気にバス停につくまで、バスの状況を確認せず。。。
歩いていくコトを決意して、テクテク歩く。
テクテクというよりも、まるでペンギン。
チョコチョコ・・・ヨタヨタ。
BGMになるのは救急車のサイレン。エンドレス。
なかなかの恐怖心。
普段、雪が積もらない地域は突発的なコトに弱いのです。
毎回“いつ積もったっけ?”なんて考えてしまう。
そして、今日は1月17日。
職場までの道のりを歩きながら“そういえば大学4回生の1月17日は雪が舞っていた”染々と思い出した。
少し昔話をしましょうか。
あの頃を書くのは、そんな心境にもなってしまった。
コミュニティーFMという場所にいれることが嬉しかった。
DJができるというコトで舞い上がってたあの頃。
震災から6年目・7年目。
開局から5年目・6年目。
竹筒の中に灯った明かり。
私には想像つかない想い。
震災が起こった時は、私は中学3年生だった。
受験勉強真っ最中。
どちらかといえば、遠い場所で起こったコトだった。
いろんな人に会って、話を聞いて、驚いたこと。
感動したこと。色々なことを思った。
1月17日。
私は、灯りの番をした。
竹筒の火が消えないように。
ろうそくを片手に、次々と火をいれた。
建物の上からみた“1.17 ながた”の文字が忘れられない。
煌々と光るロウソクは、鎮魂なのか、希望なのか。
あの頃“いつまでも地震。地震言わなくても”とか“復興ねぇ~”なんて声も聞こえた。
その声は、いまもあるのかもしれない。
神戸を離れた私には聞こえないだけの声かもしれない。
それでも人間の想いはなかなか風化しない。
竹筒の映像を見るとそう思う。
3回生の私は、初めてのことで地に足がついてなかったかもしれない。
いろんな想いの声をきいた。
「地域密着と多文化共生」
出来たらよいな。
人の輪ってなんて凄いんだって思った。
4回生の私は、卒論提出直前でフラフラだった。
粉雪舞うなかゼミの教授には「物好きな~」と少々呆れ顔で見送られた。
・・・卒論と同じぐらい大事だと思ったんだよね。
私の手元には“灯り”の写真はない。
撮るべきではないもの。。。そう思ったから。
あの灯りは忘れられない。
目に焼きついた光景は写真以上。
思い出になってしまったけど。
思い出になってしまったから、あの頃の感情も一緒によみがえることもあるのかもしれない。
いつかまた、この時期の神戸に行きたいな。
ズンズンと雪道を歩きながら。
ミニスカートとブーツで灯りの番をしたことを思い出した。
そういえば、あの頃口にしていた「地域密着と多文化共生」
アラ?いまの私のお仕事になんだか似てないかしら?