朝から珍しく雪が積もっていて、バスの運行中止。
職場まで歩いて行った。
決して歩いて通えない距離ではないけれど、通常の場合30分強。
仕事の前に歩いて行くのは、ちょっと疲れて支障を感じる距離。
結構呑気にバス停につくまで、バスの状況を確認せず。。。
歩いていくコトを決意して、テクテク歩く。
テクテクというよりも、まるでペンギン。
チョコチョコ・・・ヨタヨタ。 
BGMになるのは救急車のサイレン。エンドレス。
なかなかの恐怖心。
普段、雪が積もらない地域は突発的なコトに弱いのです。
毎回“いつ積もったっけ?”なんて考えてしまう。 
 
そして、今日は1月17日。
職場までの道のりを歩きながら“そういえば大学4回生の1月17日は雪が舞っていた”染々と思い出した。

少し昔話をしましょうか。
あの頃を書くのは、そんな心境にもなってしまった。

コミュニティーFMという場所にいれることが嬉しかった。
DJができるというコトで舞い上がってたあの頃。
震災から6年目・7年目。
開局から5年目・6年目。
 
竹筒の中に灯った明かり。
私には想像つかない想い。

震災が起こった時は、私は中学3年生だった。
受験勉強真っ最中。
どちらかといえば、遠い場所で起こったコトだった。
 
いろんな人に会って、話を聞いて、驚いたこと。
感動したこと。色々なことを思った。

1月17日。
私は、灯りの番をした。
竹筒の火が消えないように。
ろうそくを片手に、次々と火をいれた。

建物の上からみた“1.17 ながた”の文字が忘れられない。
煌々と光るロウソクは、鎮魂なのか、希望なのか。

あの頃“いつまでも地震。地震言わなくても”とか“復興ねぇ~”なんて声も聞こえた。
その声は、いまもあるのかもしれない。
神戸を離れた私には聞こえないだけの声かもしれない。 
 
それでも人間の想いはなかなか風化しない。
竹筒の映像を見るとそう思う。

3回生の私は、初めてのことで地に足がついてなかったかもしれない。
いろんな想いの声をきいた。
「地域密着と多文化共生」
出来たらよいな。
人の輪ってなんて凄いんだって思った。

4回生の私は、卒論提出直前でフラフラだった。
粉雪舞うなかゼミの教授には「物好きな~」と少々呆れ顔で見送られた。
・・・卒論と同じぐらい大事だと思ったんだよね。 
 
 
私の手元には“灯り”の写真はない。
撮るべきではないもの。。。そう思ったから。
あの灯りは忘れられない。
目に焼きついた光景は写真以上。
思い出になってしまったけど。
思い出になってしまったから、あの頃の感情も一緒によみがえることもあるのかもしれない。 

いつかまた、この時期の神戸に行きたいな。


ズンズンと雪道を歩きながら。
ミニスカートとブーツで灯りの番をしたことを思い出した。

そういえば、あの頃口にしていた「地域密着と多文化共生」
アラ?いまの私のお仕事になんだか似てないかしら? 



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