16年。私はあれから10年。。。
2011年1月17日
朝から珍しく雪が積もっていて、バスの運行中止。
職場まで歩いて行った。
決して歩いて通えない距離ではないけれど、通常の場合30分強。
仕事の前に歩いて行くのは、ちょっと疲れて支障を感じる距離。
結構呑気にバス停につくまで、バスの状況を確認せず。。。
歩いていくコトを決意して、テクテク歩く。
テクテクというよりも、まるでペンギン。
チョコチョコ・・・ヨタヨタ。
BGMになるのは救急車のサイレン。エンドレス。
なかなかの恐怖心。
普段、雪が積もらない地域は突発的なコトに弱いのです。
毎回“いつ積もったっけ?”なんて考えてしまう。
そして、今日は1月17日。
職場までの道のりを歩きながら“そういえば大学4回生の1月17日は雪が舞っていた”染々と思い出した。
少し昔話をしましょうか。
あの頃を書くのは、そんな心境にもなってしまった。
コミュニティーFMという場所にいれることが嬉しかった。
DJができるというコトで舞い上がってたあの頃。
震災から6年目・7年目。
開局から5年目・6年目。
竹筒の中に灯った明かり。
私には想像つかない想い。
震災が起こった時は、私は中学3年生だった。
受験勉強真っ最中。
どちらかといえば、遠い場所で起こったコトだった。
いろんな人に会って、話を聞いて、驚いたこと。
感動したこと。色々なことを思った。
1月17日。
私は、灯りの番をした。
竹筒の火が消えないように。
ろうそくを片手に、次々と火をいれた。
建物の上からみた“1.17 ながた”の文字が忘れられない。
煌々と光るロウソクは、鎮魂なのか、希望なのか。
あの頃“いつまでも地震。地震言わなくても”とか“復興ねぇ~”なんて声も聞こえた。
その声は、いまもあるのかもしれない。
神戸を離れた私には聞こえないだけの声かもしれない。
それでも人間の想いはなかなか風化しない。
竹筒の映像を見るとそう思う。
3回生の私は、初めてのことで地に足がついてなかったかもしれない。
いろんな想いの声をきいた。
「地域密着と多文化共生」
出来たらよいな。
人の輪ってなんて凄いんだって思った。
4回生の私は、卒論提出直前でフラフラだった。
粉雪舞うなかゼミの教授には「物好きな~」と少々呆れ顔で見送られた。
・・・卒論と同じぐらい大事だと思ったんだよね。
私の手元には“灯り”の写真はない。
撮るべきではないもの。。。そう思ったから。
あの灯りは忘れられない。
目に焼きついた光景は写真以上。
思い出になってしまったけど。
思い出になってしまったから、あの頃の感情も一緒によみがえることもあるのかもしれない。
いつかまた、この時期の神戸に行きたいな。
ズンズンと雪道を歩きながら。
ミニスカートとブーツで灯りの番をしたことを思い出した。
そういえば、あの頃口にしていた「地域密着と多文化共生」
アラ?いまの私のお仕事になんだか似てないかしら?
職場まで歩いて行った。
決して歩いて通えない距離ではないけれど、通常の場合30分強。
仕事の前に歩いて行くのは、ちょっと疲れて支障を感じる距離。
結構呑気にバス停につくまで、バスの状況を確認せず。。。
歩いていくコトを決意して、テクテク歩く。
テクテクというよりも、まるでペンギン。
チョコチョコ・・・ヨタヨタ。
BGMになるのは救急車のサイレン。エンドレス。
なかなかの恐怖心。
普段、雪が積もらない地域は突発的なコトに弱いのです。
毎回“いつ積もったっけ?”なんて考えてしまう。
そして、今日は1月17日。
職場までの道のりを歩きながら“そういえば大学4回生の1月17日は雪が舞っていた”染々と思い出した。
少し昔話をしましょうか。
あの頃を書くのは、そんな心境にもなってしまった。
コミュニティーFMという場所にいれることが嬉しかった。
DJができるというコトで舞い上がってたあの頃。
震災から6年目・7年目。
開局から5年目・6年目。
竹筒の中に灯った明かり。
私には想像つかない想い。
震災が起こった時は、私は中学3年生だった。
受験勉強真っ最中。
どちらかといえば、遠い場所で起こったコトだった。
いろんな人に会って、話を聞いて、驚いたこと。
感動したこと。色々なことを思った。
1月17日。
私は、灯りの番をした。
竹筒の火が消えないように。
ろうそくを片手に、次々と火をいれた。
建物の上からみた“1.17 ながた”の文字が忘れられない。
煌々と光るロウソクは、鎮魂なのか、希望なのか。
あの頃“いつまでも地震。地震言わなくても”とか“復興ねぇ~”なんて声も聞こえた。
その声は、いまもあるのかもしれない。
神戸を離れた私には聞こえないだけの声かもしれない。
それでも人間の想いはなかなか風化しない。
竹筒の映像を見るとそう思う。
3回生の私は、初めてのことで地に足がついてなかったかもしれない。
いろんな想いの声をきいた。
「地域密着と多文化共生」
出来たらよいな。
人の輪ってなんて凄いんだって思った。
4回生の私は、卒論提出直前でフラフラだった。
粉雪舞うなかゼミの教授には「物好きな~」と少々呆れ顔で見送られた。
・・・卒論と同じぐらい大事だと思ったんだよね。
私の手元には“灯り”の写真はない。
撮るべきではないもの。。。そう思ったから。
あの灯りは忘れられない。
目に焼きついた光景は写真以上。
思い出になってしまったけど。
思い出になってしまったから、あの頃の感情も一緒によみがえることもあるのかもしれない。
いつかまた、この時期の神戸に行きたいな。
ズンズンと雪道を歩きながら。
ミニスカートとブーツで灯りの番をしたことを思い出した。
そういえば、あの頃口にしていた「地域密着と多文化共生」
アラ?いまの私のお仕事になんだか似てないかしら?
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